たかまろにっき

なぜか人生がコンテンツ力に溢れてる、とある男子大学生の日記帳。

記録に残しておこう、という話

――数十年のうちにはね……

 

たまに、お世話になっている主治医さんの言葉が心に引っかかってしまう。『数十年』という単語が、これから先の道のりが長いことを遠回しに教えてくれる。

 

2010年10月、私はまだ中学1年生。学校で行われる尿検査で、なぜかぼくだけ陽性反応が出てしまった。呑気な私は「所詮簡易検査だし何かの間違いだろう」なんて気楽に事を考えていた。

 

数日後、保健室から精密検査の案内を受けた。どうやら再検査でも引っかかってしまったようだ。

 

ここから怒涛の病院巡りが始まるとは当初想像していなかっただろう。

 

地元のかかりつけ医に行った。

いつもお世話になっている院長さんは、診察を一通り終えて「紹介状書きますね」と一言。大学病院に回された経験など一回もなかったから、中学生の私には何が起きているのかもわからなかった。

 

大学病院に行った。内科から始まり、泌尿器科を経て、最後には膠原病内科というところに回された。朝一番で行ったのにもかかわらず、結局日が落ちるまで病院にいたことは覚えている。

 

膠原病内科まで行き、どうやら「全身性エリテマトーデス(SLE)」という病気らしいということがわかった。私が病院に来たときには既にそこそこ病状が進行していたようで、場所を変えて入院についての説明が行われた。

 

12月だったか、北風の寒い時期に私は病棟へと足を踏み入れた。きれいに整えられたベッドに有料のテレビ、何も入っていない引き出し、隣との間を仕切る薄緑色のカーテン。すべてが私にとっては初めての空間だった。

 

そこからの生活は、まさに自分が『病人』だということを強く思い知らされるものだった。毎朝6時に起こされ、3日に一回採血と血圧の測定が行われ、1日3食の食事を取り、夜8時には病棟全体が消灯される。多いときには一日十数錠の薬を飲まされ、またある日には1日中右腕に点滴が繋がれていた。

 

1ヶ月ほど経ち退院した後も、自宅療養を指示され、また1ヶ月ほど学校に行くことはできなかった。両親は共働きなので、日中は家事全般をほぼ自分の手で行っていた。朝は家族を見送ると朝食の食器を洗い、家族全員分の洗濯物を干し、自分の昼食を作り、たまに夕食も作ることがあった。

 

自宅療養が終わると2ヶ月ぶりの通学が待っていた。想像以上に筋力が弱っていたため最初は普通の生活すらままならなかったが、数日経つと元のとおりに。それからは2ヶ月おきの通院と1日数錠の服薬をこなしつつ今日に至る。

 

……と、これまでのSLEと私の連れ添いを長々と書いてみた。

なぜこんなことをしたかというと、最近身近に死を感じることが多くなったというのがおそらく原因だろう。

人間生きている以上いつかは死ぬのだと思うと、それまでに何か自分の生きていた証を残しておきたいと思うのはごく自然なことであろう。

そこで私が残せるものは何だろうと考えたとき、1つ浮かんだのが今まで書いてきた「SLEとの連れ添い」だった。もし仮にぼくが何かの拍子で死んだとしても、多分この連れ添いが残っていれば何か役に立つんじゃないか、なんて思ってみたりしたわけです。

 

SLE患者は思っている以上に少ない。そんな中で、こんなクソ馬鹿能天気な人間であるところの私の生き様が他のSLE患者の方の勇気になればいいな、なんてカッコつけてこの文章を結んでみます。おやすみなさい。また明日も元気で。